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夏の季語「夏草」

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夏の季語「夏草」

夏に多い茂る草のこと。抜いても抜いても生えてくる、雑草や山野を覆う青芒、萱のたぐい。
炎天下、強い匂いを放ち、雨が降らなくても枯れることもない。生命力のある草のことです。

夏の季語「夏草」の有名句としては

夏草や兵どもが夢の跡

がありますね。

松尾芭蕉の句です。学生時代に古典の授業で聞いたことのある人も多いのではないでしょうか。

平安時代の終わり、奥州合戦の舞台となった平泉の地(岩手県の平泉町)を芭蕉自身が奥の細道を書くために全国を旅していた途中に立ち寄った際に詠まれたと言われています。

『かつて義経以下の勇士達が、戦功を夢見て戦ったこの平泉の地も、今となってはその戦功も忘れ去られ、夏草だけが生い茂っているのみである。』かつて栄華を極めた藤原氏の痕跡も時が経つにつれ跡形もなくなってしまう。そんな諸行無常を感じさせる一句です。

石の香や夏草赤く露暑し

同じく松尾芭蕉の句です。

奥の細道を書くために全国を旅していた途中で栃木県那須町詠まれたとされる句です。この句で詠まれている石は殺生石のことを指しており、那須町の殺生石採掘されるれる付近一帯は硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスが絶えず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られています。『緑したたるはずの夏草が赤く枯れ、涼しいはずの露が熱く沸騰している。玉藻の前の妖気がまだ漂っているのだろうか?』鳥羽上皇が寵愛した伝説の女性で妖狐の化身である玉藻前が、正体を見破られ逃げた後、この地で討伐され石となったという逸話があることから、このような句を詠んだではないかとされています。

「夏草」とは?

夏によく見かける野草といえば、アカショウマやイグサ、エノコログサなどが多いですが、俳句に使われる「夏草」は特定の草花を指さずに「夏に生い茂る草」として扱われます。抜いても抜いても生えてくる雑草や、夏空の下で青々と生い茂っている野草。そんな「夏草」の生命力の強さを連想させる季語として用いられています。

「草むしり」なんていうのも夏の季語ですね。

叩かれても、踏まれても、切られても、引き抜かれても、後から後から伸びてきて、あっという間に一面を緑で覆い尽くすイメージがあります。草といっても青芒、萱のたぐいの雑草ですから、その中には、何としても生きてやると言ったような心さえも感じとれます。

夏の独特な青臭さがある夏草と、ギラギラとした夏の熱さにも負けない、ツヤツヤした葉の表面のなんでも切れそうな強ささえも持ち合わせています。もし、夏草が人間のような精神を持ち合わせているとするならば、どのような境地に立っても決して負けることはないと思います。

どんなことにもひるまない、まっすぐと凛とした姿がそこには見えてきます。
人間は、心があって色々なことを考えます。喜怒哀楽、恐れ、憎しみなどいつもまっすぐな気持ちだけではありません。
そんな中で夏草は、一つの迷いもなく突き進みます。どんな逆境をも乗り越えます。たぶん逆境を逆境とも思ない精神ではないでしょうか。夢中になって大きく、たくましく生きる姿がそこにはあります。

人生には青春、朱夏、白秋、玄冬とそれぞれの年代を表す言葉があります。
朱夏に使われているように、夏という季節は、人間の年齢でいうと少年から青年に掛けての時代を指します。色々な興味と関心を持ち合わせて、それと同時に後に引くことを知らないように感じます。
今の自分のしていることが正しいし、それ以外は見えないでしょう。
それがまるで、夏の草のようにだぶって見えるのです。
だから夏草には雑念がなく突き進むことができるのでしょう。

草は、春に芽吹き、初夏にはこれでもかというくらい成長していきます。炎天下の草は、その辺の草花と違って、もっと濃い青々さをたたえて、炎天下のなかでもじっと耐えて決してたじろぎも見せません。
そんな夏草には、雑草でありながらもはっきりとした信念の魂がそこには宿っているということなのでしょう。

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